自分にとっての「グループ活動とその中での役割」について【備忘録】

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今まで自分は生きてきた中で、グループの中で一定の機能を果たして能力を認めてもえた経験というのが実感としてなくて、学校でも部活でもサークルでもバイトでも、何をやってもグループ活動だと「そこにいるだけ」になりがちだなと思っていた。

一方で、勉強とかマラソンとか個人でコツコツやるのは得意ジャンルだなと思っていたので、無理して社会性のようなものを手に入れる必要はないと思っていたし、今でもそれはある程度の強度を持った真実として自分の中に存在する価値観だったりする。他人に認められなくても自分さえブレてなきゃいっか、という所は大いにある。

グループの中で機能するには「自分はこういうことができるぞ」と誰かにアピールする必要がある。人知れずシコシコ何かをやっていたとしても、誰かが見ていなければそれは存在しないのと同じだ。だから僕は、グループの中で存在感を得るのはひどく難しいことのように感じていた。
そして、”後輩”という存在が心底苦手だった。グループに加わると、最初は「そこにいるだけ」で許されていたはずだったが、1年、2年と経つと”後輩”が入ってくる。その頃には、グループの中で機能できる人間は各々役割を持っていて、その役割を果たすことで皆から認められ、”後輩”もそれを指標にして”先輩”へと成長していく。
僕はいつも役割を獲得することができずにいて、ただただ「そこにいるだけ」というのが大変恥ずかしくてたまらなくなった。高校の部活を2年になった瞬間辞めたのも、大学でサークルからフェードアウトしたのも、そういう側面が大きかったと分析している。

新卒で入った会社でもそうだった。日々言われるままに仕事をこなしてはいたが、それは「役割」と呼べる程のものになる兆しがまるで見えなかった。全てが受動的で、やはり僕は「そこにいるだけ」になってしまっていた。僕は1年半で会社を辞めた。ちょうど次の年の”後輩”が配属されて入ってくるタイミングだった。もちろん、退職理由はそれだけではなく、やりたいこともあったのだが。

それから3年、僕はアニメを作る会社に居続けられている。入れ替わりの激しい業界というのもあるが、今では自分と同じ役職では先輩は一人しかいない。その先輩も3月いっぱいで次のステップへ進むためチームから離れることになる。他は全て後輩たちだ。
今の自分はこのグループの中で機能していると思う。自分がいなくても作品は納品に漕ぎ着けるだろうが、それは自分がいる場合に完成されるものとはまた違った作品であると思う。自分には困った時に助けてくれるクリエイターの人達がいる。

そういう人達と繋がりがあるというのは、ある程度制作進行としての役割を果たせているからだと思う。
上司もそんな自分を見てか、今の役割以上の仕事を任せてくれたりする。自分は演出にステップアップしたいので、演出の代役をするチャンスを与えてくれたりする。
このグループの中では、あの頃いつも感じていた恥ずかしさのような感情は微塵もなく、失敗があれば反省こそすれど、正々堂々と「俺はここにいるぞ」と言える。

この一連の文章では、決して「引きこもってないで社会性を手に入れよう」とかいうクソみたいな話をするつもりはなく、自分が本当に好きな世界でだったらできることが広がることもあるのかも、ということを知見として得たので単にまとめて発表しておきたかった。もしかしたら自分と同じように感じている人もいるかもしれないので。