僕がアニメを作る理由 ~10年ぶりに初恋の人に会ってみた話と京アニ放火事件の話~

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お久しぶりです。あいたん(@aitanprpr)です。
 
アニメ制作会社に転職してから3年半。現在の職種からステップアップするため、この度会社を辞めてフリーランスになることになりました。この節目に、これからも自分がアニメを作り続けていくために、改めて「何のために自分はアニメを作るのか」ということを考えてみました。
この1ヶ月間、ひたすら自問したり人と会ったりして、なんとなく自分の中でまとまってきたのでここに記録として残しておこうと思います。
 


経歴を振り返る


まず、改めて自分の経歴について簡単に振り返ろうと思います。
■2015年3月 筑波大学大学院 数理物質研究科の修士課程を修了。
■2015年4月 大手メーカーに開発職として入社。1年間勤務していく中で、仕事への行き詰まりと、好きなことにチャレンジしたいという想いが強まる。
■2016年10月 アニメ制作会社へ転職。制作進行として3年半勤務。TVアニメ2作品に携わり、合計8本(8話数)を制作。
■2020年3月 制作進行から演出になるため、会社を辞めてフリーランスになる。
 


僕がアニメを作る理由


さっそく結論からですが、この1ヶ月間考えてみて、僕がアニメを作る理由は下記の3点にまとめられそうだと思いました。
①過去から今に至るまでに感じてきた敗北感から自分を救うため(同時に、同様の課題を抱えた誰かを救うため)
②好きな人を幸せにしたいから
③僕と同じようにチャレンジをしている友人や、家族、好きな人に、ひたむきに生きている姿を見せるため(互いに良い報告ができるように)

※①と②はアニメ作品が人を救う(ないしは人生を変える)力を持っていると僕自身が信じていることが前提となっていることは念のため述べておきたい。

ここからは手記のような形になるが、これらの3つの項目に考え至った話をしたい。
 


10年ぶりに初恋の人に会ってみた話


①自分を救うためにアニメを作る

僕は仕事で作品が終わった時とか、あとは恋人ができたりして、なんとなく人生満たされた気になっちゃうと、なんかもう何もしなくてもいいやって気分になってダメになっていってしまう。
そんな時に過去の嫌なことや自分が未熟だったこと、できなかったたくさんのことを思い出すと、まだまだ足りないって思えて生きる意欲が湧いてくる気がする。
なのでつい最近、青春時代の敗北感のようなものを味わいたくて、中学生の頃に出会った初恋の人(告白はしたが片想いのまま終わった人)に再び会ってきた。大学の頃に一度会っているので、およそ10年ぶりの再会だった。
その女性と話してみて改めて思ったのが、いつか自分が監督になってオリジナルの作品を作るとき、多分ヒロインの一人は幾分か彼女の成分が反映されたキャラクターになるだろうということ。きっと僕は、そうやって自分の青春の幻影に触れて、過去の呪縛から自分を救い出すために作品を作るんだと思った。また、そうした作品を作ることは、自分と同じ課題を抱えている誰かにとっても救いになると信じている。

②好きな人を幸せにするためにアニメを作る

他人、とりわけ男女の付き合い方には2つあると思う。まったく憂いがなくお互いの良いところを見て一緒にいるタイプと、お互いの欠けているところを埋め合うように一緒にいるタイプ。前者はプライドのぶつかり合いで互いを高め合うように付き合っている。後者は互いの弱いところを突き合わせて触れ合うことで深いつながりを感じている。
僕は後者の人間で、単純に相手の良い部分ももちろん見るが、それ以上に相手の欠点の部分により深い魅力を感じる。素敵な女性を見かけたとき、その人が、自分がクリアしている課題を欠点として持っていると、自分がなんとかしてあげたいという気持ちが発生する。また、相手が男性の場合は、弱いところを見せ合うことで相手を信用するようになる(オタク的なコミュニケーションの取り方ですね)。
僕の初恋の人はとても素敵な人なのだが、やはり欠点を持っているように思えた。その欠点を魅力に思うし、僕は彼女には幸せになってもらいたいと中学の頃からずっと願ってきた。ただ、今は他に付き合っている女性がいるのでそれを直接叶えることができない。だから、作品を作って彼女に見せてあげたい。傲慢でエゴイスティックな考えかもしれないが、そう思った。

③僕の大切な人たちに良い報告をするためにアニメを作る

初恋の女性を幸せに導くために僕はアニメを作るんだ!と言ってはみたものの、そんな偉そうなことを言うからには、僕が彼女に誇れる生き方をしていないと説得力に欠けるし、作品も彼女に届かないだろうなと思った。彼女も目標を持ってひたむきに生きている(働いている)女性なので、「お互いに良い報告ができるといいね」と言ってその日は別れた。
話は変わるが、実はこのブログの管理人のにっけ氏(@nikke_1925)ともつい最近ご飯を食べに行った。彼も常にチャレンジを続けて生きている人で、僕は勝手に戦友のように思っているのだが、久々に話をしてみてとても勇気をもらった。僕は彼にも良い報告ができるようになりたい。
それから、ツイッターで知り合ったKさん(@K_13141)だが、この前小説の賞に応募して一次審査を通過していたようだ。870作品中50作品の中に選ばれたというのだからすごい。僕はこの方にも刺激をもらった。いつか僕も良い報告がしたい。
良い報告がしたい人は他にもいる。大学院まで行かせてくれたにもかかわらず、その後の進路変更を受け入れてくれた両親や、今カナダで料理人を目指している弟にも良い報告がしたいのだ。
この人たちに良い報告をするためには、僕はアニメを作り続けなくてはならない。
 


もうひとつ、大事なこと【京アニ放火事件の話】
(2020/02/11追記)


昨年7月18日、本当に痛ましい事件が起きてしまいました。京アニ第1スタジオで起きた放火殺人事件……
その時に自分の心に湧いた感情というのは、怒りや悲しみといった類のものではなく、この世界の不条理にただただ自分の力のなさを思い知らされて、「何もできない」という絶望そのものでした。きっとこれを無念というのだと思います。この現実をなんとかすることができないのなら、自分は何のために存在しているのか、わからなくなりました。
当時、ちょうど自分が作っているアニメが放送期間中で、一切立ち止まる余裕もない中で、アニメを作る意味はもうわからなくなっていたけれども、とにかく「今僕に何かできるとしたら、全力でアニメを作ることだけ」と自分に思い込ませて、心を無にして仕事に打ち込んだことを覚えています。

アニメ作品で描かれるのは(すなわちアニメを作るということは)、そうした世の不条理との戦いそのものだと僕は思っています。上の項で最初に述べたように、人生には嫌なことやつらいことがたくさんあります。そんな時に何度も僕のピンチを救ってくれたのは、間違いなくアニメでした。その中には、京アニの彼らが作った作品ももちろん含まれています。だから、僕はこの自分自身の人生を、彼らと一緒に戦ってきたという気持ちでした。そして、不条理と戦い続けてきた(アニメを作り続けてきた)彼らが、こんなにも無残な仕打ちを受けたことがショックでたまりませんでした。

昨年末、関わっていた作品の放送も無事終わり一段落ついたので、休みを利用して京アニ第1スタジオへ祈りを捧げに行ってきました。僕は彼らの代わりになることはできません。けれども、彼らがどんな場所で働いていたのか、またそこで何が起きてしまったのか、彼らの何かを心に刻んでおきたくて、スタジオ取り壊し前にその”場所”を一度目に焼き付けておきたかったのです。
しかしその願いは叶わず、建物は完全にビニールシートに覆われてしまっていて、またしても虚しさと無力感に襲われました。そんなことすらもできないのかと。この世界はそんな些細な想いすら許してくれないのかと。なんて無慈悲なんだと。僕は、このすべての感情を心に刻んで生きていかねばと思いました。

彼らが作った作品は確かに今も自分の血肉の一部となって、自分と共にあります。彼らの作品があったから、僕はアニメ業界へ進むことができて、今もアニメを作り続けることができているんです。
しかしやはり、僕は彼らの代わりになることはできません。失われたものは二度と戻ることはありません。だから、彼らの想いを引き継いでアニメを作るんだなんて、とてもじゃないけど言えません。けれどもたったひとつだけ言えるとしたら、彼らが信じ愛したアニメーションに、恩返しがしたいのです。

昨年、あの事件の後に劇場で公開された京アニの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 -」の主題歌の「エイミー」という曲があります。その歌詞の中に「心踊る あぁ、私も幸せ運びたい」という言葉が出てきます。これは作中のエイミーという女の子の気持ちを表現したのだと思います。「手紙を受け取って幸せになれたから、私も配達員になりたい」という。今、僕もそれと同じ気持ちです。
 


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